“される側・する側の思い”
中途視覚障害者の心のケア
このページは、見えにくい見えない方々の暮らしの支援を目的にさまざまな情報を掲載している会報誌『ぴあサポ』からの記事を転載させていただきました。
「される側・する側の思い 中途視覚障害者の心のケア」
講師:清水美知子
視覚障害者として、いつもされている立場にいる側の“こころ”にスポットをあてたお話は、視覚障害者にかかわらず、高齢社会を迎えた現在、向かえつつあるこれからの時代にあって、障害があるなしを問わず、広く地域社会に対して、啓発・啓蒙を促す注目すべき講演となった。
ここではその講演の模様をご紹介します。(※なお、紙面の都合上、一部省略しての記述となっております。ご了承ください。)
掲載内容
第一回清水美知子講演会(2003年6月)
『中途視覚障害者のこころのケア・される側とする側の思い』
第二回清水美知子講演会(2004年7月)
『中途視覚障害者のこころのケア・理解してそうでしていない、家族としての関わり』
理解してそうでしていない、家族としての関わり
おはようございます。昨年こちらにおいでくださった方は手をあげていただけますか。半分よりちょっと多いくらいですね。話の前におたずねします。この中で、ご自分を視覚障害者と思っている方または、身体障害者手帳を持っている方はどれくらいいますか。30人くらいですね。では、ホームヘルパーの方、その中で利用者として視覚障害者と関わっている人はどれくらいいますか。はい、大体わかりました。
今度は年齢をお聞きします。90代の方、いらっしゃいますね、1人、80代、70代、60代、10人、50代、20人くらい。40代、10人くらい。30代、20代、2人ですね。10代はいませんね、20代から90代までですね。
今度は家族の中に、目の不自由な方がいらっしゃる方、5人ですね、では、視覚障害以外の障害の方が、ご家族にいらっしゃる方は、2人ですね。少ないですね。
障害者のレッテル
人が障害を負うと、障害者というレッテルを張られます。視覚障害者のレッテルにはどのようなものがありますか?
(参加者から)「白杖」、「手帳」、「遮光レンズ」、「盲導犬」
他にないですか?
(参加者から)「介添人」
この指摘はいいですね。私は好きです。それではどうして社会が皆
さんにレッテルを貼るのですか。どうして皆さんに白い杖を持たせるのでしょう?
(参加者から)「自分を守るため」
自分を守るためということは自分から持っているわけですね。では、それはどうして白でなくてはいけないのですか?
(参加者から)「人から認識してもらうため」、「目立つから」
では消防自動車はどうして赤なのでしょう。アメリカの消防自動車は黄色だそうです。考えると当たり前と思っていることの中に、どうしてだろうと思うことがあります。今白い杖は「(視覚障害者であることを)他人に知らせるため」とおっしゃいました。それをひ
っくり返して考えたことありませんか。「他人が 『見えない人は、見えないということを周りに知らせて歩いて下さい。』」と言うことではありませんか?例えば、視覚障害者が見えないために自動車が近づくのに気づかず、道を渡り始めたら、その視覚障害者をひいてしまうかもしれません。だから白い杖を最初から持っていてください、というのではありませんか?社会が皆さんに視覚障害者はレッテルを貼って歩いて下さい、というようなイメージはないでしょうか。(参加者から)「ある、ある。」
社会が視覚障害者は「白い杖を持って」といいます。「周囲の人に眼が不自由だということを知ってもらって、必要な手助け又は保護を得て下さい。」とい います。白い杖を提示して、周囲の注意を喚起し移動の安全を確保することは重要です。ただ、それだけが白い杖を持つ(持たされる)理由のすべてでないと思います。
白杖を持たなければいけないのか?
よく、白い杖を持たない、持つことを拒否する、家の周辺では持たない、とい
う視覚障害者の話を聞きます。この背景には「視覚障害者は白い杖を持つべ
き」という考えがあります。べき論のもとでは、視覚障害者個々の考えや気持ちは二の次にされてます。さらには、持たない人、持てない人は、「まだ障害を受け入れてない」などと、ネガティブな評価を下されます。視覚障害者だけが、「持たなければいけないけど
持てない」という心の葛藤を背負っています。社会が、「不合理な負担を、視覚障害者に課している」と悩むことはないのです。
道路交通法の中には視覚障害者は外に出るときには白あるいは黄色の杖を持っていかなくてはならないと、なっています。では他の障害者はどうでしょう。聴覚障害者は?片麻痺の人は?なぜ視覚障害者だけがそうなっているのでしょう。
社会は頑固!!個人受容と社会受容
社会は、障害による生活上の様々な不自由を障害者にだけ負わせてきました。目が不自由だと道路を渡るのは大変でしょう。電車を利用するのは大変でしょう。でも社会は変わらないのです。変わらなければならないのは視覚障害者なのです。社会に不適応となった
人、障害者は、「社会適応訓練」を受け(自分を変えて)社会へ戻ってきて下さい。障害者の再適応を援助をするのがリハビリテーション(リアダプテーション)の指導員であったり社会福祉関係者だったりするのです。社会に再適応した障害者は、障害を持たない人に混じって社会生活を再開します。
適応できなかった人たちはどうなるのでしょう。社会に適応できないのですから、家の中にいる、施設で生活するということになります。ここ数年に介護保
険制度、支援費制度が施行され、不適応な障害者に社会へ参加するための支援を提供するサービスが始まりました。でも、依然としてそこにある社会は変化に対して頑固です。これからは社会が変わっていかなければいけません。社会は、障害者を適応/不適応の別なく受け入れるよう変わらなければなりません。
社会へ存在をアピールする
社会に対して自分たちの存在をアピールしていかなければなりません。積極的に社会に対して「自分たちはここに居るのだよ」、「ウンチもするし、オシッ
コもするし、歯も磨くし、ご飯も食べるし、皆さんと同じように生活しています。」、「不自由は沢山あります。でも、とりあえず生活をしています。」ということをアピールしなければならないのです。二十四時間テレビではできません。二十四時間テレビでは、
「凄く悲惨な人」とか、「すごく優秀な人」しか見せられない、その間に様々な視覚障害者がいる訳でしょう。社会に訴えていく、声を出して精一杯生活をしていく、積極的に「私は、こうなのよ」「こういう生活をしているのよ」と自分のあるがままを見せましょ
う。社会と障害者の接点を障害者から作りましょう。
「すでに私はそうしている」と言う人は、「そうしている」という内容を確認して下さい。どれだけ今月は新しい人の肘を借りましたか、どれだけ新しい人 と言葉を交わしましたか。「自分は毎日出かけているよ、一週間に一回は出かけているよ」という方、スーパーでいつも同じ人、通院している病院でも同じ看護婦さんが手を貸していませんか?意外と、自分にとっての「社会の人」は限定された人、限定された数の人ではありませんか?
社会と障害者と家族
家族は、社会と障害者、両方の立場を持っています。障害者を持った家族は障害者のことが分かるかというと、そうでもありません。「何で私の大変さを妻は分かってくれないのだろう、身近にいて、日々自分の行動を目にしているのに…。」と思う夫は少なくないと思います。
足元が不安で、つきたくない白い杖を使わなくてはならない夫は、妻に「家からでなくていいわよ。用事があれば私がするから」と言われ、いわれた通りに家にいます。夫は外出したくない、一方妻は家に障害者がいるということを知られたくない。そこでは両方の利
害が一致し、そのような状況があっと言う間に一年になり二年になりという例は少なくありません。これは家族が「社会と障害者が混じり合う」プロセスを阻害する例のひとつです。毎日24時間を一緒に生活している家族によるものだけに、その影響は大きいものです。
最初は「優しいなぁ。手を貸してくれて嬉しい」と思っていた夫も、時間が経ってくると「自分なりに動きたい」という気持ちになってきます。しかしその時に妻は依然として、「白い杖で歩いている夫を見たくない」、または、「夫を見る世間の視線を見たくない」という気持ちがあります。そこで、社会に出る前に妻とぶつかり合うことになります。家族はありがたい一面、社会と障害者が混じり合うときの障壁になってしまうのです。問題なのはその障壁を、家族がよかれと思って作っていることです。自分の夫を守りましょう、守ってやらなければいけないと思っているのです。
ある段階までは、暖かな状況で、信頼できる家族に囲まれて時を過ごすことは、障害をいやすために必要な事だと思います。でもそのような時期は永遠には必要ないのです。必ず次の時期に繋がらなくてはいけないのです。
その切り替えが出来たら家族は、障害者の素晴らしいサポーターになれると思います。
家族の苦労
社会の中で、家族は「障害者を持っている家族」と見られていると言うことです。あの子の兄弟は障害者とか、あの子のお母さんは障害者というふうに社会から見られます。自分が障害を持っていない家族も、「障害者を持っている家族」という社会の目と戦ってい
るのです。障害者の親、障害者の子供、障害者の夫(妻)、障害者の兄弟姉妹、それぞれ問題の現れ様が違い、一言で言うのは難しいわけです。
夫が視覚障害を負って職を失えば、すぐに経済的な問題が発生してきます。それまで三食昼寝付きで生活が保障されていた妻が、働かなければなりません。家に帰れば何にもしない、見えなくなってぶすっとした夫がいます。見えていたときはぶすっとしていてもそれはそれで放っておけたけど。稼ぎはないはぶすっとしてるは、口
を開けば「オレは見えなくなったのだ…」などといいます。家計の維持、子供の教育、身体障害者関係の申請、などなど生活は止っ
ていられません。周囲からは「隣の奥さん、最近お化粧もしてないし、疲れているようね。」というような噂話も聞こえて来ます。
子どもは、「お前んとこのお母さん目が見えないだろう」と言われます。知らない間にゲームの仲間とか野球の仲間からはずされます。それは仲間のお母さんたちの輪にその子のお母さんが入っていないあるいは入れないからです。PTAの会合に出席するときはガイドヘルパーを請求できますが、道ばたで開かれる井戸端会議の出席にはガイドヘルパーを請求できません。お母さん達の輪の中からそのお母さんははずされています。
障害者の家族もいま述べたような苦労を抱えています。家族も日々の生活の維持、将来への不安、世間の無理解を抱え、肉体的精神的に疲労します。でも、それは「家族なのだから当然」という考えが主流で、家族は自らそれらの苦労を担う他ありません。時としてそれに疲れ果て、家族が壊れてしまうことがあります。家族は強力
なサポーターです。でも、エネルギーも充電しなければ枯渇してしまいます。家族がいつまでも協力的で強力なサポーターでいることは、その家族の中の障害者にとって大切な事です。
家族を支えて
障害を持っている人は自分たちが支えられるものと思うことは多くあると思います。ここで、自分が自分の家族を支えている、また支えなければいけないのだということに是非気づいて実践していただきたいと思います。具体的な方法をいくつかあげます。
まず、「節度をわきまえる」という事です。家族から何がしかの手助けを受けながら生活する。これは仕様がないと思います。でもこれやってくれ、あれやってくれと、何でもかんでも、家族の手を患わすのでは家族は参ってしまいます。自分でできる事を一つでも
増やす努力が必要です。もう少し自立力あるいは自活力を増す事ができないか、今の生活の中を見まわしてみて下さい。それが家族の負担を軽くする事ですし、自活力が増してきた夫を見るのは、妻に取って非常に嬉しい事です。そういう嬉しさは疲労を和らげてくれます。
つぎに、「してほしいことを明確に相手に伝える」ことです。妻が夫の事を思って、手助けを自発的にします。夫は「こうしないで」、「ここに置かないで」、「そうされてもぼくには分からない」など文句をつけます。これはいけません。自分から「こうして下さい」と頼みます。妻は夫がこうして下さいと頼んだら、そのようにする。「いちいちいわなくても分かるだろう」などと、相手を攻めてはいけません。してほしいことは自分からはっきりと依頼し、その責任は自分で負いましょう。してもらったあとは必ずお礼をいいましょう。
最後に、家族は身近なものです。24時間一緒です。でも身近だからというだけで、障害、障害による不自由は分かりません。そばにいるから自然に分かると思わないで下さい。そばにいても分からないのだと理解してください。分かってもらうためには、自分で説
明する、このような講演会に一緒に参加する、パンフレットを読んでもらう、などを積極的にしましょう。又機会は少ないかもしれませんが、福祉や医療関係の専門家が、相談の場を設けています。そういう所へ家族を誘って行くのも良いと思います。
このような具体的な方法を日頃お取りになっていかれると、ご家族も、障害を持っている自分の事に対する理解が深まって、社会との塀を下げてくれるかも知れません。いっぺんに取り払うのは無理でしょうが、「あなたの言う通りいってみようか。」とか、「一緒に、朝、散歩しましょうか。」などというような事になるかも知れません。隣近所にありのままを見せられるようになります。そうなってくると、奥さんが地域に出て行く、または、社会に出て行く、というように社会との交流が促進されていきます。
障害者は、“力”がない?!!
きょうは「エンパワーメント」という言葉を考えながら、"される側とする側の思い"と言う題でお話します。最近この言葉が、福祉関係、医療関係、障害者の団体の人々の間でよく使われています。このエンパワーメント、Empowermentという英語は、"エン、em"と、パワー、power"、と"メント、ment"の三つの部分に分けられます。
"パワー、power"の意味は、みなさんよくご存知ですね。もしこの会場にパワーの意味を知らない人がいらしたら、きょうの私の話のレベルをかなり下げなければいけませんね(笑)。
"パワー"は力。そして"メント"は、状態を表す接尾語、"エン"は、「力を与える」という接頭語ですから、「エンパワーメント」とは、「力をつける」とか、「力を与える」という意味になります。
「障害者は力がない」と、世間も障害者自身も思っているのですね。
力がないから、力をつけましょうというわけですね。
見えない人は歩けない?!、高齢者も障害者!?!
それでは、なぜ障害者は力がないのでしょう。なぜ世間は障害者は力がないと思っているのでしょう。それには、いくつかの理由が考えられます。
不規則で複雑な間取りの建物を造っておいて、「見えない人はひとりで歩けないね」と言ったり、車椅子で上るのには高度のバランス感覚と強い腕力が必要な段差を作って、「車椅子のひとはひとりでその段を上れない」、と言います。
「障害者は、ひとりでは何も出来ないのよ。」、「ガイドヘルパーがいなければ、手話通訳士がいなければ、介護者がいなければ…。無力な人たちですよね。」と言います。
同じようなことが高齢者にも言えます。「そこの年寄り、邪魔だ!」、「若者のお通りだ!」という場面よくありますね。
私は最近、駅の券売機の前で、壁の運賃表を見ようとすると遠目が利かないし、近くのを見ようとすると老眼で見えません。自分が見える距離を見つけるのに時間がかかっている間に、後ろからは「そこに立って何をのそのそしているんだ!」という目で見られます。
周囲の視線にせかされ、急いで料金を財布から出そうとするのですが、100円玉なのか1円玉なのか即座に見きわめられなかったり、めざすコインがつまめなかったりします。言ってみれば、これも障害者なのですね。このような状況が障害者を無力に見せているのです。
無力なのではなくて、そのように見せている、またそのように社会が見ているのです。
視覚障害者、聴覚障害者は法律によって、障害を理由に、ある職業に就く機会を奪われていました。いわゆる欠格条項です。視覚障害者が医者に、聴覚障害者が弁護士になってもよいはずですね。それが法律で否定されていたのです。つまり、障害者は最初から門前払いだったのです。
個々の能力や才能がどうとかではなく、法律によって、障害を持つ人は、この仕事は出来ませんと社会が決めていたのです。すなわち、障害があるということだけで、その人は無力と決め付けていたのです。これも障害者を無力にする要因です。
「私出来る人、あなた出来ない人」と社会が決め付けていました。
最近小学校の総合的な学習という時間で、目の不自由な人、耳の不自由な人、手足の不自由な人の話題を取り上げることが多くなりました。ある学校で先生と児童のやり取りを耳にしました。
先生が「目が不自由なひとにあったらどうしますか?」とたずねると、児童は「かわいそうだから手を引いてあげます」と答えました。私にはその状況が「ひとりでなにもできない」、「かわいそう」などのネガティブなコメントが積み上げられて、「障害者は無力である」というイメージが形成されてゆく過程に見えました。
その児童たちが成人し、自分自身が目が見えなくなったとき、自分は一人では何もできないかわいそうな人間だと思うでしょう。なぜなら、そういう言われ続けたその障害に自分がなったのですから…。
このようにして、障害者は、本来は無力ではないのだけれども、無力な位置に押し込められ、無力な人たちだという風に見られてゆくのです。
「視覚障害者ってひとりで何もできないのよ」と教わり、それを信じていた人自身が、視覚障害者になってしまったら「自分は何もできないのだ」と考えてもなんら不思議はありません。
そして、同じように障害者は無力と教わっている世間は「あなた、ひとりではとても無理よ」、「手を貸してあげましょう」となります。「先生も言っていたし、きょうは手を引いてあげちゃったぁ」、「私は目が見える。見えない人の手を引いてあげちゃった。うれしいなぁ」。
ひょっとしたら手を引かれた障害者は「あぁ、また余計
な道を一本渡っちゃった。まぁいいや、眼の見える人が喜んでくれたのだから。」なんて心の中で言っているかも知れませんね。
それはともかく、このように、双方が社会が期待する役割を担っているのです。「あなた無力な人、私有能な人」ってね。
有能な人は、無力の人を助けることによって、自分の有能さをさらに確認します。だから、障害者手帳を持っている人が自分より優れていると、“有能な人”は困ってしまいます。
障害者手帳を持っている人は、決してベンツに乗ってはだめですよ。車は、中古車、それも軽自動車にして下さい。「マッサージ治療の仕事でも、節約してお金を貯めてやっと車が買えたのよ」とか、「障害年金が少しと、マッサージ治療の収入で細々とだけどそれなりに暮らしています。」というくらいにして、お金を使うときは外国に行って使いましょう。
そうすると世間は平和ですよ。でも「ちょっとしたお土産なのですが…」と、隣にフランスの香水でも買っていってごらんなさい、もう翌日からは近所付き合いなしですよ!
「だいたいね。障害者は甘やかされているのよ。年金の額、見た。私なんか朝から晩まで働いてこの有様なのに…プンプン」ということになりますからね。
双方が対等な契約の当事者。それが新制度
平成15年4月から身体障害者に対して、それまでの措置費制度に代わって支援費制度が始まりました。この制度では障害者の自己決定を尊重し、事業者との対等な関係に基づき、障害者自身がサービスを選択し、契約によりサービスを利用します。
つまり身体障害者向けのサービスを提供している事業者と、そのサービスを受ける障害者が対等な関係で契約を結び、必要なサービスの提供を受けるということです。
ところが、ついこの3月まで「視覚障害者は、一人では契約なんか出来ない。目が見えないのだもの、契約書の内容だってわからないじゃない!」と言っていたのです。それが、一夜にして、「障害者を一人前に扱います。契約の当事者としてご自分のお好きなサービスをお選びください」となりました。一夜にして子供から大人になりなさいっていうようなものです。
長い間「無力」、「一人では何もできない」といわれ、周囲の手助けを受けて生きてきた障害者、あるいはそのように強いられてきた障害者が、ある時、「これからは一人でどうぞ!」といわれてもすぐにそう出来るものではありません。そこで、エンパワーが必要になるのです。
制度が変わっても、変わらない障害者のこころ
障害者を無力にさせている原因はいくつかありました。その一つは、物理的な障壁です。
車椅子の人にとっての段差や階段。視覚障害者にとっての無秩序な道路環境、誘導システムの未整備などがそれに当たります。
二つ目は制度的な障壁です。この代表例は先ほど触れた欠格条項です。ガイドヘルパー制度にもその要素があります。
例えば、みなさんは、いつお腹が痛くなるか、自分の健康を予測することが出来ますか?「ここのところお腹の調子がよくないから、たぶん一ヶ月後には内科に行くことになるかも知れない…」。もし予測できないと、ガイドヘルパーの予約が出来ませんね。
朝、急にお腹が痛くなって「病院に連れてってください」とガイドヘルパー派遣事務所へ頼むと、「予約はしてありますか?」、「うちはガイドヘルパーは、急には派遣できないのですよ。二、三日後でしたらお連れできますので、それまで痛みを我慢してください」と、言われかねません。いまのガイドヘルパー制度にはまだいろいろな制限があります。
エンパワーする、障害者に力をつける。つまり、障害者が自分は、決して他の人たちと比べて劣ってないのだという気持ちになるのを阻む一番の問題は"心"なんです。
子供のときから「視覚障害者を見たら手を貸しましょう」、「視覚障害者はかわいそう」と聞かされて育って来た人の心には「無力な障害者像」が根づいて、それは一朝一夕には変わりません。
それは、障害者でも同じです。長い年月繰り返し言われ続けたことで、自分自身もそう思っている“心”があるのです。
"無能なんだ、無力なんだ"と障害者自身が持つイメージ。
「社会の人たちが抱いている障害者イメージを変えたい」、そのために私が大事にしたいのは、"される側とする側"の接点のところで、双方が一歩踏み出して、言い合うことです。そうすることによって、人の心を変えて行くことに加速をつけることが出来ると思っています。
"される側とする側"が接点を持つためには、双方が接触する機会を作らなければいけません。例えば、家の中にずっと閉じこもっている身体障害者は、問題意識を持っていても、直接社会に対して自分をアピールすることは出来ません。自分を外に出す、世間にさらさなければいけません。
一人一人が生活の中で、ガイドヘルパー、ホームヘルパー、ケアマネージャー、病院の看護士に接したとき、自分の気持ちを、今より一言多く話してください。ガイドの態度に腹が立ったり、気にくわないところがあったならば、いまより一言、はっきり言ってください。
そうすると、そのガイドは次から来てくれないかも知れませんが、その危険を、その責任を自分で負ってほしいのです。少し頑張ってみてほしいのです。
「私はガイドヘルパーです。ホームヘルパーではないので買い物のアシスタントは出来ません。ここから先はガイド出来ません」と言ってスーパーの前で止まって、「ここから先はお一人でどうぞ」、なんて言い出すかもしれません。
反対に、ガイドヘルパーやホームヘルパーの人にもいまよりも一言、はっきりと障害者に言ってほしいのです。お互いが言い合うことから、それぞれの心の中に長年積み上げられて来た古い考え方、誤った考え方が変ってゆくのだと思います。わたしたちは心の中の古い考えを消して行かなければならないのです。それには双方がぶつかりあうのが非常に有効だと思います。
ガイドヘルプの場面("誘導する側と誘導される側")でも、「この人は見えなくて無能なのだから、私が手を貸している」と思っているガイドヘルパーと、「私は一人では歩けないから、ガイドヘルパーに手を引いて貰っている」という障害者のペアがいます。
このペアはぴったりと切り口が合っています。ただ、このままではいまここで問題にしている無力な障害者像が変わっていきません。とりあえずは平和なペアですが、そこに嵐を作ってほしいのです。
"障害者は無能なんだ、無力なんだ"と言う障害者自身のイメージ、社会の人たちが抱いているイメージを動かしたいのです。
盲導犬に、誘導の基本が見える
私は、視覚障害者のガイドヘルプの有り様を考えるとき、盲導犬を考えなさいっていうのです。なぜかと言うと、盲導犬も視覚障害者のガイドヘルプを担っているシステムの一つです。犬が誘導するときと人が誘導するときでは何が違うのだろうと考えてほしいのです。
犬が誘導するときはこのような状況ではどうするのかなと考えると、人が誘導するときの基本が見えてくると思います。
ところで盲導犬のことをみなさんはどれだけご存知ですか?この社会福祉会館の玄関で、盲導犬に「JR金沢駅まで」と命令したら、犬が「はい、わかりました」と駅まで誘導して行くと思う人はいますか。「マクドナルド」と命令すると「はい」と、マクドナルドへ行くと思いますか。
そうではありませんね。犬は段差あるいは角(交差点)をめざして歩きます。日常会話でいうならば、次の角まで。つまり、「次の角まで真っ直ぐ歩きなさい」と命令します。すると犬は次の角で止まります。止まったところで、飼い主が直進、右折、左折のどれかを選択し、犬に命令します。それを繰り返しながら、目的の場所に近づいていきます。
犬の中には、または飼い主の中には、365日同じところに行って帰ってくるだけの生活をしている人がいます。つまり、朝、家を出て、会社に行って、夕方、会社を出て寄り道しないで家に帰る。そうすると、犬もルートを覚えてしまいます。命令されなくても会社まであるいは家まで誘導するようになります。飼い主はタクシーにでも乗っているように目的地に着きます。なんと楽なことでしょう。
でもそれは盲導犬歩行の本来の姿ではありません。飼い主が犬を制御するのではなく、犬に引かれているだけです。
ガイドヘルパーに、「JR金沢駅」とか「マクドナルド」とかって言うと行きますか? 行きますよね。その時にガイドヘルパーにお願いしたいのは、知らない振りをしてほしいのです。「JR金沢駅って、私、方向音痴でわかんないのです」、そして「ここからどっちへ行けばいいのですか?」と質問してほしいのです。
すると、視覚障害者は、「右です」と、方向を指示しなければなりません。極端な言い方ですが、こういうことによって、エンパワーするのです。視覚障害者に自分で目的地までの道筋を覚えてもらうのです。それが力をつける、エンパワーすることになるのです。
道を指図出来ないで、ただ肘にぶら下がってしまえば、自分の権利を主張したくてもできません。ただ引きずられているのですから。
個人としてのボランティア
"される側とする側"、これは状況によって、いろいろな言葉で言い換えられると思います。例えば、"健常者と障害者"、"晴眼者と視覚障害者"、"ガイドと視覚障害者"などですね。"ボランティアと障害者"もその一つです。
皆さんは、ボランティア同士の次のような会話を耳にしたことがありますか?「まるまるさんが、私の家に電話をしてきて、いついつどこどこに連れて行ってほしいって言うのよね。私もね、ボランティア活動でガイドするのは全然問題ないんだけど、直接、自宅にまで電話してきて個人的にガイドを頼まれるのは困っちゃうのよね。」「そう、あの人っていつもそうなの。私の家にもかかってきたわよ。」
こう話すボランティアがボランティア活動の日は、いそいそと積極的に、「あっ、それはいいですね。いつがいいですか?わかりました。」なんてことを言います。障害者の方には、”ボランティア”というくくりではなく、清水さんとか、稲垣さんとかという、個人対個人の関係でガイドをお願いしたり、買い物をお願いしたり、介助をお願いしたいっていう気持ちがあるのではないでしょうか。それに対して、ボランティアには「『私は手話通訳をしています』または『ガイドヘルプをしています』でも、それは『活動日だけね!』」のように、個人ではなくグループの一員として、ある場面、ある場所、ある機会のときだけ活動するという方が多いようです。
近所の人が、目が不自由な隣人、あるいは耳の不自由な隣人に対して、隣づきあいのようにして、ごく自然に手助けができたならば、すごくいい状況になるのではないでしょうか。ところが今は隣近所を跳び越して、社会福祉協議会またはボランティアグループに連絡をして、そこから手助けが来ます。専門性の高いサービスが必要なことも時にはあると思いますが、多くの生活場面にはそれほど高い専門性は必要ありません。例えば手話ができなくても、筆談で、身振り手振りで、隣の耳の不自由な方の手助けが出来ると思います。
でもそれを省いてしまって、いきなり、「あっ私は手話ができません。」と言ってしまう。視覚障害者の誘導も同じです、「私、ガイドヘルプの講習を受けていませんから…。」ということが前に出て来てしまって、「右ですよ、左ですよ。」というような簡単な誘導
さえもできないかのように自分を位置づけてしまって手を出さない、こういうところに、今私たちが解決していかなければならない問題があるのではないかと思います。
講習会に参加して“技術”や“視覚障害者”のことを知っても、 その人は社会福祉協議会を通さないと動かないとか、グループを通さないと動かないというのはおかしいですね。もっともっと個人対個人で双方が手伝えるようなボランティアワークが必要ですね。障害を持った人がいるその場で、手助けを必要としているところで、手助けできる人が手を貸せば、それが”ボランティア”です。お年寄りが交差点で足がすくんで、横断するタイミングを失っているのを見て、「一緒に渡りましょうか?」と声をかけ、一緒に渡るだけで、足がどんどん前に出て、お年寄りは助かると思います。このような何気ない気遣いが忘れ去られて、ガチッとした形式張ったボランティアばかりが話題にされているような気がしてなりません。
何気なく,自然に
目の不自由な人が、街の中で助けを求める声を出した時に、周囲の人が、その声にすっと反応して、必要最小限の、決して過保護ではない手助けをしたとします。そうすれば、その目の不自由な人は必要に応じて周囲の人の手助けを借りながら目的地に辿りつきます。周囲の人に求められる手助けは、その目の不自由な人の問いかけに答えるだけかもしれません、寄り添って交差点を渡るだけかもしれません。目的地に着いてからは、その場所の関係者が、今と同じように対応すればいいわけです。
最近よく病院で患者を"患者様"と呼んでいるところがあります。しかし、"様"というわりには、「この“患者様”のガイドヘルパーはどこにいますか?」、「この“患者様”のご家族はいますか?」、「この“患者様”の付き添いはどなたですか?」などといって、視覚障害を持つ“患者様”に対して、誘導の手を出そうとしません。病院・医院に来た“患者様”です。受付、看護師、医師がそれぞれの部署で、ほんのちょっと必要な手助け・ガイドをすれば、その視覚障害を持つ“患者様”の診察は終わるのです。
特別扱い
飛行機で外国旅行をするときに、「視覚障害者は一人では飛行機には乗れませんよ」などということを平気で航空会社、旅行業者の人が言います。どうしていけないのでしょう? おかしな話ですね。
「介助者がいれば、介助と一緒に旅行していただければ、いつでもこちらは喜んで対応させていただきます。」とも言います。その一方で「弊社では、障害者だけのパック旅行を企画いたしております。障害者には理解のある旅行会社です。」と言います。障害者だけのところに乗って楽しいわけがないじゃないですか。一個人として社会に参加することがゴールでしょう?だって、障害を持っていても社会のごく一人の人間なわけですから。
ところが社会は障害者のための特別な場所や機会を作ってそこで健常者と同等のサービスを提供しようとしています。障害者はあくまで特別なのです。物のデザインに、“ユニバーサル”すなわち”年齢、障害など個人の差異に関係なくすべての人に快適な”という考えが、普及してきました。
ところがサービスの面では、これは障害者,これは健常者と区分けがあり,ユニバーサルにはほど遠い状況です。以前よりずっと多くの場に、機会に、障害者が参加するようになりましたが、どこでも“される側とする側”、“障害者と健常者”の区分けは消えません。両者が混ぜ合わさっていません。
ツアーを募集したときに、参加者に耳の不自由な人がいました。目が不自由な人がいましたっていうのが、いいんですね。そこで参加者同士、精一杯の能力で通じ合えばいいじゃないですか。それを、「あなた、耳が聞こえない。」「わたし、手話が出来ない。」と、縁あって一緒にいるのに一週間のパック旅行中、黙って話もしない、こういうのはだめですね。一週間一緒に旅したら、手話なんか覚えてしまいます。そうした時にアプローチをせずに、どうするかというと、旅行から帰って、「私も手話を覚えなければ!」と言い出すんですよ。せっかくの貴重な生の場を捨てておいて、手話サークルに行って、そして手話を勉強して、そしてまた両方があう場所に行って、手話を使ってそれでおしまい、という有り様が多く見られます。そして一見、お互いが理解しているかのような錯覚に陥っているんだけれど、それはちょっと考え直す必要があるのではないでしょうか。
バランス感覚
バランス感覚というものが生活の中にあると思うんです。 「今日も隣の奥さんから、温泉まんじゅうをもらっちゃった!週末、金沢の温泉に行って来たんですって。あっ、そう言えば、二週間前にも草津温泉のまんじゅうももらったわ。でもうちはお金も時間もないし、どこへも行く余裕がなくて、こうして日曜日でも働いてるのに…。たまには、お返ししなきゃいけないとは思っているんだけれど、それが出来なくて…。でもでも、やっぱりお返しはしないとって、気にはなっているんだけれど、お返しするものがないのよね…。」
こんなふうに、いつかいつかと思いながらお返しが出来ないでいる気持ちが、こころの負担としてだんだん貯まります。相手の人は、どう思っているでしょう?「もう、そろそろ何かお返しが来てもいいんじゃないかしら?」、「これで二回、正味3,000円だから、2,000円くらいのお返しを持って来てもいいんだけれどなぁ。」と思っているのです。表向きは、「あぁ、いいんですよ。あれはほんのお裾分けですから。」と言っても、その裏では手が出ています。これって、ごく普通の近所付き合いですね。でも、このバランスが徹底的に崩れるともう、温泉まんじゅうは来ません。「だって、あげたって何も来ないんだから。」という風になります。
これは、社会のしきたりというか基本ですね。これが度を越して、闇の献金みたいになると問題ですけど、私たち庶民レベルでは、こうした習慣が生活の潤滑油としてあると思います。
“される側”と“する側”も同じなんですよ。いつも“される側”になっている、いつも“する側”になっているというのには問題があるのです。
“いつもする側”は、手助けをしたと得意になって、段々身体が後ろに反り返ります。反対に“いつもされる側”は、頭が下がっていく…。それもひとつのバランスと言えるかも知れません。けれど、「片方は反って」、「片方は頭を下げる」というバランスではなく、両方が真っ直ぐ立ってバランスしたいのです。両方が面と向かって顔を見合いながら、“される側”と“する側”になっていてほしいのですよ。そのためにはどうするかということを、いつも双方が考えていてほしいのです。
される側はお礼を工夫し、する側は“過介助”に注意
お礼を言われて悪い気のする人はいません。お礼には相手を気分よくする効果があります。ただ、いつも「ありがとうございます」では、その効果もそうは期待できません。ときどき彩りを変えましょう。気持ちをしっかりと込めましょう。“する側”の気持ちを汲んで、相手を気持ちよくする工夫をしましょう。そうすれば、“される側”から“する側”にお返しが出来るでしょう。
“する側”は、何でもかんでもやらないことです。何でもかんでもやってしまうと、昔流行った褒め殺しと同じで、介護殺し、ガイド殺しとでも言いましょうか、視覚障害者の能力を損なってしまいます。エンパワーの反対ですね。例えば、ガイド歩行中のガイドの言葉数、実際、かなり多いでしょう?「石ころが右の方にあります。」とか、「高さ10センチの段です。」とか…。街の音や自然の音を聴きたいと思った時でも、不必要な事まで絶えずしゃべっていませんか?そして、ちょっとつまずくと、「大丈夫ですか?」とか。
双方が独立した人間としてお付き合い出来る関係を築く、そういう社会が出来るようにするひとつが「誘導歩行の場」であるということも言えると思います。
ガイドは視覚障害者におんぶして
以前、こういう場面に出会ったことがあります。60歳代のガイドヘルパーが20歳代の視覚障害者をガイドしていました。視覚障害者が「こっちの上の道を行きましょう。」と言うと、「いやぁ、そっちはきついから下を歩きましょう。」と、ガイドは下の道に視覚障害者を導きました。ここで「きつい」のは誰ですか?ガイドヘルパーですね。
20代の視覚障害者はひょっとしたら、体力はあるし、歩くこと自体を、運動としてとらえたいのかもしれませんね。ここでガイドヘルパーが「私、もう60歳を過ぎているし、腰も痛いし、悪いんですけれど下の道を歩いてもらえませんか?」と言えば、視覚障害者はガイドの身体を気遣って「そうですか、いいですよ。」と答え、対等のバランスになります。
ひょっとしたら、「それじゃ、私がおんぶしてあげましょうか?」、「背中でちょっと右、左、を言ってくれれば、私、歩けますよ。」と、ガイドヘルパーをおぶって上の道を行くかもしれません。そしたら、バランスは逆転ですね。
「今度は、おんぶ紐を持って来るようにしますね」。そうなるとガイドヘルパー講習会は、“いかにしてうまくおんぶされるか?!”ということになったりして…。
移動の権利と誘導システム
最近、視覚障害者が晴眼者の肘を持って歩く誘導法が普及し始めています。でも、ほかにもいろんな誘導法があります。いま、「肘を持つ」方法以外を認めない講習会があったとすれば、その講習会は誤っていると思います。他にどんな方法がありますか?盲人マラソンは肘を持って走っていませんね。紐ですね。あれも一つの誘導法です。ガイドの肩に手を置いて歩く方法もありますね。これは比較的に多いです。
ガイドが視覚障害者の手や腕を取って誘導する方法もありますね。人による誘導以外にも視覚障害者の誘導を目的とした設備があります。音響信号機、点字ブロック、触地図、トーキングサインなどがそれです。「自分が思い立ったときに、思い立ったところに行ける」いわゆる“移動の自由”、“移動の権利”は障害者の権利の重要な要素です。
その実現に向けて移動介護支援,ガイドヘルプ、盲導犬、点字ブロック、音響信号機、などが整備されてきました。
しかし、視覚障害者が移動の権利を獲得するにはまだ長い年月を必要とするでしょう。その間、権利が十分保障されていない負担を視覚障害者にだけしょわせたら、アンバランスで,アンフェアな社会になってしまいます。世の中の人は、全部同じ価値なんです。
乙武さんであれ、私であれ、網膜色素変性症で視野が狭くなっている人
であれ、耳が聞こえない人であれ、その人たちが、皆、同じようにして生活出来る社会を創って行きましょうと、私たちは考えているんですよね?
最後に“する側”と“される側”、双方がもう一言、声を出しましょう。お互いにいやなことを言い合いましょう。相手にとっていやなことを一言、言うようにしましょう。一言だったら、お互いに我慢出来るかも知れません。そうすると次に今度は、二言目が出ますよ。二言目も我慢できるようになります。そうすると動き出すと思いますよ。是非、このことを金沢からスタートさせましょう。
清水美知子さんのプロフィール
神奈川県横浜市生まれ。埼玉県さいたま市在住
1982年から2002年 *視覚障害者更生施設施設長
1979年から*福祉施設で、地域で視覚障害者の歩行訓練をする。
*病院の視覚障害者リハビリテーション外来での相談業務 *ガイドヘルパー養成講習会講師 *国立身体障害者リハビリテーション学院非常勤講師 *小学校、中学校、大学での講議
『ぴあサポ』のご紹介
2003。10/第一号から
燃える秋。陽が沈むごとに寒さを感じ、陽が昇るごとにその色合いが深まって行きます。例え、燃えるような紅色の木の葉が、燃え過ぎて黒ずんでしまったかのように黒く見えても、黄色い葉が白く見えても、秋はたけなわ。天高く澄み渡った空気を思いっきり吸い込めば、鮮烈にして鮮やかなる錦秋が眼前に広がります。
見えにくい見えない方々の暮らしの支援を目的に、福祉、医療、文化、健康、住まい、食べもの、ファッションなどなどさまざまな分野から、いくつかの情報を取り上げ、QOLの向上を目的に発行いたしてまいります。
ほんの一行でも、一言でもみなさまの心に留まれば、暮らしのお役に立てれば幸いです。
【本紙判形;A4判全18ページ・色上質神(黄色・中厚口)・1C刷り/
※本文基本フォント;DF平成ゴシック体W7・15〜16pt・行間:20〜21pt】
ぴあサポートメンバーズペーパー『ぴあサポ』創刊号(2003年10月15日発行)無断転載厳禁
○C 定価300円
企画編集制作◆視覚障害者ボランティア団体・ぴあサポート
〒921-8025 金沢市増泉2-2-16 K2 PLANNING OFFICE内
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Fax.076-280-9939
これで、される側・する側の思い 中途視覚障害者の心のケア のページを終わります。
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