報告『新潟ロービジョン研究会2014』



 歴代の日本ロービジョン学会理事長3名が一堂に会して「我が国のロービジョンケア 過去・現在・未来」の特別講演、各地でロービジョンケアを実践している3名にシンポジウム「我が国のロービジョンケアを語ろう」で語って頂きました。各講師の講演が素晴らしく、また実りあるディスカッションと充実した時を過ごすことが出来ました。
 研究会には、新潟県内はもちろんのこと、全国(香川県・東京都・埼玉県・愛媛県・兵庫県・宮城県・茨城県・福島県・大阪府・滋賀県・奈良県・山形県・京都府・千葉県・岐阜県・神奈川県・和歌山県・福岡県・岡山県;参加申し込み順)から、約80名(医師・視能訓練士・教員・学生・心理カウンセラー・社会福祉士・ガイドヘルパー・市民の方々・当事者・家族等々)が参加し、「我が国のロービジョンケア 過去・現在・未来」をテーマに、大いに盛り上がりました。

特別講演 1

日本におけるロービジョンケアの流れ:日本ロービジョン学会の設立前
 田淵昭雄 (川崎医療福祉大学感覚矯正学科;日本ロービジョン学会初代理事長)
  http://andonoburo.net/on/3222

【講演要約】
 2000年4月の第1回日本ロービジョン(以下、LV)学会学術集会での基調講演で、丸尾敏夫帝京大学教授が「・・日本におけるLVへの眼科医の対応は1929年にはじまり、弱視学級が作られた。近代的なLVの医療、教育、社会や行政への対応は40年前から始まり、30年前にはすで確立していた。」と述べられた。すなわち、1929年に小柳美三東北大眼科教授がLV児の特殊教育の必要性を訴え、1933年に南山尋常小学校(東京麻布)に全国初の弱視学級が開設された。戦後になって傷痍軍人など中途LV者のための更生施設開設(松井新二郎の活躍)と共に、1960年前後に原田政美、大山信郎、湖崎克ら眼科医の活動によって学校教育の中に弱視教室が実現した。
1960年原田政美による視覚障害福祉、1961年湖崎克による弱視教育に関する学校保健法への働きがあり、1963年には弱視学級が大阪、東京、岡山で創設されている。1964年に文部省補助金交付対象研究団体として日本弱視教育研究会(大山信郎会長)が発足しているのは注目すべきである。同年に順天堂大学や岡山労災病院の眼科外来に今で言う総合リハビリテーションとも呼ばれる(障害の告知、心理相談、進路相談、院内生活訓練なども行う)本格的なLVクリニックが設置されている。LVケアも斜視弱視外来に取り入れられている。
 それでも当時は眼科医主導のLVケア施設数が少ないこと、何よりもLVケアへの眼科医の関心の低さなどから、全国的には多数のLV者が眼科医療からLVケアへ繋がれることなく放置されていた、と言っても過言ではない。
 一方、1970年から1980年代は視覚障害を持つ乳幼児の研究が盛んとなり、1979年には第1回乳幼児視覚障がい研究会(対馬貞夫ら)が立ち上げられている。演者が1970年代に兵庫県立こども病院在職中は、LV児は1968年に開設された東京都心身障害者福祉センター(原田政美所長)や1975年に開設された神戸市立総合福祉センターの視力障害幼児生活訓練室などで指導してもらった。何といっても地元でのLVケアが本来的であるが、その必要性を理解していた眼科医はまだ力不足であった。1970年以降の白内障眼内レンズ挿入術や網膜硝子体手術など眼科医療・研究の急速な発展と、それに追付こうとする気運が勝り、一般眼科医にはLVケアは念頭になかったといえる。ところが、高齢者社会の到来と共に中途LV者の増加が次第に地域LVケアへの転換の気運を生み出した。
 1991年から年1回開催された国立身体障害者リハ・センター(簗島謙次眼科部長)での厚生労働省による「視覚障害者用補装具適正医師研修会」(通称、医師研)を受講した全国各地の眼科医による職場(地域)での活躍が年々活発化した。彼らは毎年大きな学会中に研究会を開き、症例検討や簗島謙次眼科部長から世界のLV研究の状況などを聞いて仲間意識を強めてきた。この研修会が国リハでの5日間の集中研修であったために参加者はそれほど増えなかった。しかし、彼らが核となりLVケアの学術的向上を望み、眼科医療関係者以外の教育、看護、福祉、保健や行政その他など広い領域による学際的組織として「日本LV学会」創設の基盤になっている。幸い2007年から同センターの部長(仲泊聡)が代わったのを機に、医師研の期間が3日間に短縮されて受講しやすくなっている(演者はその最初の受講生20名の一人で第230号の修了証書をもらっているが、この数は今後飛躍的に増加するだろう)。
 演者(小児眼科医)の立場からみると、今なお、視覚障害乳幼児の早期指導で個々に応じた対応ができていない。とくに、晴眼児とのコミュニケーション不足も大きな問題で、本学会のロゴマークを無償で寄贈された漫画家故赤塚不二夫のような民間人からの支援も受けながら、今後より確実な指導法を開発する必要がある。(1603字)
【略歴】 田淵昭雄 
 昭和43年(1968年) 3月 神戸大学医学部卒業 
 昭和45年(1970年) 7月 兵庫県立こども病院眼科勤務
 昭和52年(1977年) 5月 川崎医科大学 助教授 (眼科学)
 平成 元年(1989年) 9月 川崎医科大学 教授  (眼科学) 
 平成 4年 (1992年) 9月 川崎医療福祉大学 教授(感覚矯正学)併任 
 平成16年 (2004年)12月 川崎医科大学 教授 退職 
 平成17年(2005年) 4月 川崎医科大学名誉教授
 平成23年(2011年) 4月 日本眼科学会名誉会員
 平成25年(2013年) 4月 川崎医療福祉大学 特任教授
役職:日本ロービジョン学会理事長:平成12年(2000年)4月〜平成22年(2010年)3月

特別講演2

 日本におけるロービジョンケアの流れ:ロービジョンケアからロービジョンリハビリテーションへ−平成24年度診療報酬改定の意味するところ−
 高橋 広(北九州市立総合療育センター;日本ロービジョン学会第2代理事長)
http://andonoburo.net/on/3234
【講演要約】
 私のロービジョンケア(LVC)にかける思いを端的に表現すると、保有視機能を最大限に活用してQOLの向上を目指すものが私のLVCである。
 1994年ある一人の成人緑内障患者との出会いからLVCを知った。日々治療に明け暮れていた私は、患者が希望する社会復帰を支援することができず煩悶していた。その時、知人の紹介で一人の歩行訓練士がこの患者に接したことで、患者は精神的にも立ち直り、社会復帰を果たしていった。その状況をつぶさに見た私は、LVCの真髄を垣間見る思いであった。これを機に、1996年産業医大病院眼科にロービジョンクリニックを開設した。当時は教育や福祉が主にLVCを担当しており、患者の多くはLVCの名すら知らず、眼科は経過観察や治療を提供する場でしかなかった。
 その頃、LVCに関心を持つ眼科医が公に学ぶ場は厚生省主催視覚障害者用補装具適合判定医師研修会しかなく、LVCに関する和文の教科書もほとんどなく、須く私の師匠は患者であり、視覚障害者の方々であった。一方、視覚障害者の方々が持つ問題が医療だけでは全て解決できないのは自明のことであり、多くの他職種の人たちとの学際的連携が重要であると考え、北九州視覚障害研究会や九州ロービジョンフォーラムを発足させた。そして、この仲間との体験を一冊にまとめたものが「ロービジョンケアの実際 視覚障害者のQOL向上のために」(医学書院)である。
 そもそも、眼科医療は眼疾患や視機能障害を診るのだから、そこから発生する不自由さや日常生活動作の支障を考えると、私たち眼科医は患者の目の使い方、適切な視覚補助具や視環境等々のアドバイスはごく普通にできるはずである。場合によっては心のケアを行いながら、「できなくなった」日常生活動作を一つひとつ「できる」ようにすることで自信が回復し、それが学校や職場など社会復帰へ繋がっていくことを当事者や家族が実感できることが大切である。
 そのためには、寄り添いながらニーズに対応していくLVCでは十分でないことも多々あり、それを包含してもなお余りあるものが必要と考えた。それは、寄り添うところから一歩踏み出し、患者の抵抗を知りつつも患者の背中を押すことの必要性である。これは患者の意に沿わぬことを押し付けているように傍からは見え、医療スタッフに誤解を生じることも時にはあるが私はこれをロービジョンリハビリテーション(LVR)と呼び、これこそが眼科医療の役割と認識している。
 また、他の身体障害では早期リハビリテーションがその予後を左右するといわれており、LVRでも同様と考える。これには、視能訓練士や看護師などのコメディカルとともに生活支援の立場から展開させていくことが大切である。
 以上のような考え方をベースに、眼科医療にLVC、LVRを広く普及させなければならない重要性を痛感した私は“LVCの診療報酬化”を積極的に進めた。その結果、日本眼科学会や日本眼科医会の協力が得られ、厚生労働省の担当者にもご理解いただけ、当事者の方々からの大きな声が追い風となって、私が日本ロービジョン学会理事長在任中の2012年に、ロービジョンの診療報酬化はロービジョン検査判断料の名称で実現した。このロービジョン検査判断料は、繋ぎ目のない連携を求めており、医療がその任を果たすべきであることを示している。このようにLVRの意味を明確にした。した がって、今後のLVCはLVRを担う眼科医療が中心となり、如何に患者主導の医療に展開していくべきかである。
【略 歴】 高橋 広(北九州市立総合療育センター眼科部長)
 1975年 慶應義塾大学医学部卒業
 1986年 カナダ・ブリティッシュコロンビア大学留学
 1989年 産業医科大学医学部眼科学講座講師
 1993年 同大学助教授
 2000年 柳川リハビリテーション病院眼科部長
 2008年 北九州市立総合療育センター眼科部長(現在に至る)
 2012年 獨協医科大学越谷病院特任教授
役職:日本ロービジョン学会理事長:2010年4月〜2013年3月

特別講演3

「本邦におけるロービジョンケアの課題と将来への展望」    加藤 聡(東京大学眼科准教授;日本ロービジョン学会第3代理事長)
 http://andonoburo.net/on/3253
【講演要約】
 日本ロービジョン学会が設立され、田淵前々理事長、高橋前理事長の功績により、ロービジョンケアが眼科医にも認識されるようになり、昨年には保険点数も付くようになった。しかし、本邦におけるロービジョンケアを取り巻く問題点の多さに未だ愕然とする思いがある。本講演では、はじめに日本ロービジョン学会について説明し、次にロービジョンケアを取り巻く課題と解決法、そして最後にロービジョンケアの将来についてお話しする。
1.日本ロービジョン学会
 日本眼科学会のその関連学会23学会の一つであり、2000年に発足し、毎年学術総会を開催しており、その総会長は眼科医のみならず、ロービジョンケアにたずさわる多くの関係者が行っている。学会員の総数は現在約720名で、その三分の一ずつが眼科医と視能訓練士で、残りの三分の一をその他の医療関係者、教育関係、福祉関係の方々で構成されている。
2.現在のロービジョンケアを取り巻く6つの問題
 @眼科医療に携わる者(眼科医、視能訓練士)に対して、ロービジョンケアに関して系統だった教育法が確立されていない A補助具の眼科診療室内での整備が難しい B保険点数が認められたものの未だ、請求しづらい点がある C視覚障害による身体障害者等級の線引きの妥当性の検証が未だ不十分なこと、 D関連団体との情報の共有性が充分なされていないこと、 E本邦内でのロービジョンケアの地域間格差があることである。
 @では、眼科医療の携わる指導者がロービジョンケアの教育を受けていないことが現状では問題であり、指導者層のロービジョンケアへの関心の向上が必要である。@の影響もあり、一通りの治療が済んだ失明者が眼科医を受診した時に、眼科医そのものが戸惑ってしまうこともある。Aでは、眼科内では補助具の販売ができず、そのために充分なトライアルセットが完備されていない現状がある安価で正確なトライアルセットの出現が待たれる。Bでは、未だロービジョンケアに携わる眼科医が非常勤の場合に算定できないことがある。Cでは、身体障害者等級決定には科学的に裏打ちされた日常生活の不自由度によるものが理想だが、請求の簡便性とは相容れない物があり、その妥協点を見つけることが必要である。Dでは、ロービジョンケアを実施している施設の取りまとめが、各団体により異なり、視覚障害者に必ずしも正しい情報を提供しているとは言い難いのが現状である。Eでは県によってはロービジョンケアを行っている施設が充足されているのか疑問のところがある。全てにおいて解決策を示すことはできないが、そのような問題点があることをロービジョンケアに携わる者が知っておくことは意義があると考える。
3.今後の展望として
 私が最も期待していることは、再生医療やiPS細胞などの最新治療により得られることになるであろう今まで経験したことのない新たな視機能に対するロービジョンケアの研究である。本来、それらの研究は、最新医療の研究と並行して行われていかなければ、最新治療により受けられる患者の恩恵は最小限のものになってしまう危険性がある。
 それに各県単位であるが、スマートサイトのようなネットワークができ始めていることが、ロービジョンケアの充実に不可欠であることを説明する。また、将来のロービジョンケアの中で今後、重要視すべきことは、視覚障害者の就労の問題である。 JAMA Ophthalmolという雑誌の最新号に視力障害者には無職者が多いことが証明されており、この問題が重要性がわかる。
 最後に、私自身が考える本邦でのロービジョンケアのあり方についていくつか提言したい。それらは、 @ロービジョンケアにおいては眼科医のみならずあらゆる職種に協力を仰ぐこと、 A眼鏡店のロービジョンケアへのさらなる介入と全国展開への期待、 B補助具関連企業の世界的標準化、 C特殊支援学校や視覚障害者団体との情報の共有化、 Dロービジョンケアに関する研究の推進である。  どれもすぐに実現できるものではないが、私自身はその実現に向けて努力を惜しまない考えである。
【略歴】 加藤 聡 (カトウ サトシ)
 1987年 新潟大学医学部医学科卒業
     東京大学医学部附属病院眼科入局
 1990年 東京逓信病院眼科
 1996年 東京女子医科大学糖尿病センター眼科講師
 1999年 東京大学医学部附属病院分院眼科講師
 2000年 King’s College London, St. Thomas’ Hospital研究員 
 2001年 東京大学医学部眼科講師
 2007年 東京大学医学部眼科准教授
 2013年 日本ロービジョン学会理事長
 2014年 東大病院眼科科長兼任
  現在に至る

シンポジウム「我が国のロービジョンケアを語ろう」1)

ロービジョン当事者として相談支援専門家として 我が国のロービジョンケアの未来に対する夢を語る
  吉野 由美子 (視覚障害リハビリテーション協会)
  http://andonoburo.net/on/3259
【講演要約】
 私は、昭和22(1947)年に生まれ66歳になる。生後3ヶ月の時に母が、私の眼が見えていないのではないかと気づき眼科へ、先天性白内障と診断され、生後6ヶ月から7歳までの間に6回に分けて濁った水晶体の摘出手術を受けた。後から知ったのであるが、この時期にこんなに早くから開眼手術を受けられたのは奇跡に近い出来事だったらしい。7歳の時に、16Dぐらいの分厚い凸レンズを処方され、真っ白だと思っていた瀬戸物に細かいひび割れがあるのを見てびっくりした記憶が鮮明に残っている。16歳の時に初めて弱視レンズを紹介され、遠用と近用のメガネを使い分けて見ることを学んだ。その後光学機器の発達の助けを借りて、私の見る能力はどんどん向上した(矯正視力右0.03、左0.2)。
 ところが、35歳の時に突然右目が窓ガラスに水滴がついたような見え方になり、ひりひりした痛みが出るようになった。「失明するのではないか」という恐怖に駆られて、有名眼科をいくつか受診したが、「小眼球で仕方がない」と言われ、「先天的な障害があると治療の対象にもしてもらえない」ことにショックを受けた。幸い右目の症状はそんなに悪くならなかったが、56歳を過ぎる頃から、再び右目の角膜混濁が強くなり痛みも出るようになった。その時に、視覚リハの仕事で知っていたロービジョンに精通した眼科医から、角膜移植の専門医を紹介していただき、目の前の症状を緩和することだけでなく、将来の自分の眼の予後についてや角膜移植の時期など見通しを持った治療とその説明を受けることができた。それと同時に、やはり仕事で知っていたロービジョンケアに精通した眼鏡士から、自分の状態に合った遮光眼鏡を紹介された。
 以上のような自分自身の経験と、幼い頃からのロービジョンの方たちの相談に乗った経験から、医療の中でのロービジョンケアの未来に望むことを以下にまとめた。
 1 障害があって元々視力が弱くても、幼い頃からのロービジョンのあるものは、その見え方に依存して生きている。0.01から全盲になってしまうことは、「中途失明」と同じ状態であることを、ロービジョンケアに携わる眼科医がまず理解し、すべての眼科医が理解しているように教育されること。
 2 ロービジョンのある方の視力や視野が落ちてきたら、それを「病気」ととらえ、治療の対象と考えて欲しい。また、視力や視野の低下の原因について、きちんとした説明を受けることができるようにして欲しい。
 3 その人なりに見えていることの意味を熟知した担当医(ロービジョン専門家)から最先端医療を担う専門眼科の医師にその見え方を維持するための最善の治療を受けられるように紹介して欲しい。担当医と専門眼科医の連携が、いつでもどこにいてもできるようになっていて欲しい。
 4 ロービジョンケアを標榜する病院においては、メガネ等の補助具の正しい選定がおこなわれるだけでなく、その使い方のトレーニングが受けられるように視能訓練士等のスタッフを充実させて欲しい。
 5 見え方が変化するたびに「失明するかも」という不安に襲われ、生活上の支障も出てくる方たちのために、カウンセラーやソーシャルワーカーなどの心のケアや生活相談に乗れるスタッフの必要性とその育成をロービジョンケアをおこなう眼科医が積極的に主張し、教育をおこなう体制を整えて欲しい。
 6 見えないことによって困るのは、日常生活の場面であるから、訪問リハが医師の指示によってできるように、教育現場や在宅の場面、高齢者の施設などに、視能訓練士等が出向いて、視機能検査や、補助具の選定等ができるシステムが確立されるようになって欲しい。
 以上、先天のロービジョン当事者の経験と、視覚リハの相談者としての経験から語らせていただいた。
【略 歴】 吉野 由美子
 1947年 東京生まれ 66歳 
 1968年 東京教育大学(現筑波大学)付属盲学校高等部普通科卒業
 1974年 日本福祉大社会福祉学部卒業後、名古屋ライトハウスあけの星声の図書館に中途視覚障害者の相談業務担当として就職(初めて中途視覚障害者と出会う)
 1991年 日本女子大学大学院文学研究科社会福祉専攻終了(社会学修士) 東京都立大学人文学部社会福祉学科助手を経て
 1999年4月〜2009年3月 高知女子大学社会福祉学部講師→准教授
     高知女子大学在任中、高知県で視覚障害リハビリテーションの普及活動を行う。
 2008年4月〜任意団体視覚障害リハビリテーション協会長(現在に至る)
【後記】
患者さんの生の声を聞いた。吉野さんは、生い立ち・病気のこと・眼科医の言葉に対する感情(気持ち)を披露して下さった。 「治ることは期待しないが、治療して欲しい」「治る見込みのない障害者であっても治療の対象として診て欲しい」「視機能が向上しないと治療の意味がないのか?そんなことはない」「少なくても眼の状態について説明して欲しい」「最善の治療を受けているという確信がないとLVケアは受けられない」「主治医と専門家の連携を。よく話を聞いて欲しい」、、、、、、それは、すべての医療関係者に聞いて欲しい患者さんの叫びだった。

シンポジウム「我が国のロービジョンケアを語ろう」2)

一眼科医としてロービジョンケアを考える
 八子恵子 (北福島医療センター)
 http://andonoburo.net/on/3277
【講演要約】
 眼科医になってまもなくから、小児眼科や斜視・弱視といった領域を担当することが多かった私は、眼先天異常や未熟児網膜症、網膜芽細胞腫などによる視覚障害のお子さんを診察する機会があった。それらのお子さんに、屈折矯正眼鏡や弱視レンズ、遮光眼鏡、義眼などを処方し、指導する経験を得た。そして、これらの処方が、「見える」や「見やすい」の喜びを与え、「かわいいね」で表情が明るくなるなど、大きな力を持つことを知った。
これらの経験から私は以下のようなことに気がついた。すなわち、眼疾患の治療が必要ない、あるいは不要となった患者さんにたいしてもやるべきことがある。それらは、眼科医でなければできないことである。しかしそれらは、患者さんの周囲の人の協力があって進むことである。といったことである。
 次に、私は、福島県障がい者総合福祉センターが行っている視覚障がい者巡回相談会における医療相談を担当することになり、この巡回相談会に、県や地方自治体のみならず、県立盲学校、生活支援センターや拡大読書器や遮光レンズを展示する業者など多くの人がかかわっていることや、ピアカウンセラーの存在を知った。そして、これらの参加団体がいろいろな行事ややり方で視覚障がい者を支援していること、しかしその内容を眼科医である私、すなわち視覚障害を持つ患者さんに最も早く、もっとも頻繁に会っている眼科医が知らないということにショックを受けた。そして、視覚障がい者に向けた活動や支援を知り、患者さんに伝え、眼科医も積極的にその役割を果たすためには、これら関連する団体や人と連携する必要があると強く感じ、福島県ロービジョンネットワークを立ち上げることになった。
 福島県ロービジョンネットワークは、設立から8年になり、それなりの活動ができているが、私という一眼科医としてロービジョンケアとどうかかわっているであろうか。大学勤務を辞めて以降、定期的とは言え多施設で診療をしている私は、一施設での系統だったロービジョンケアをできず、外来で出会ったロービジョンの方にすすめたいと思う補装具が多くの施設には用意されていない、しかし、遮光レンズなどは実物を見ないと患者さんに理解していただけず、理解していただけなければ先に進めないのが現状。このような状況でも私がプライマリーあるいは基本的ロービジョンケアをしたいなら、「自分でモノを持って行けばよい」「そうだ、移動診療所だ」となったのも私が年に似合わず、運転好きであったことが功を奏したと言える。
 そんなわけで、私の車の後部座席には、遮光レンズのトライアル、焦点調節式単眼鏡数種、小児の近見視力を測定する視力表、レチノスコープ(屈折検査機器)、模型の眼球(患者さんに主に屈折異常を説明するため)、治療が難しい複視の解消に役立つ遮蔽レンズ(オクルア)のトライアル、クラッチメガネ(手術非適応の眼瞼下垂にたいする対症療法)、義眼数種などなどが乗っている。それらから、ロービジョンの患者さんに、よいのではないかと思われるモノを見、体験していただき、これ!というものがあれば、手帳の有無によるその後の流れを説明、福祉や直接業者などにつなげることになる。もっと多くのものを見たほうがよい場合には、展示会や展示している業者などを紹介するが、その場合も、様々な職種、団体とのつながりが大いに役立っている。
 一眼科医がロービジョンケアにかかわるには、大きなことはいらず、必要としている患者さんに巡り合うこと、そのような患者さんは目の前におり、それに気づくこと、少しでよいから何かを提案し、自分にもできることがあることを知ること、でも、できないことは人に頼ること、そのために多くの人とつながることである。今の私の思いである。
【略 歴】 八子 恵子
 1971年  福島県立医科大学 卒業
 1972年  福島県立医科大学 助手
 1978年  公立岩瀬病院眼科 医長
 1980年  福島県立医科大学 講師
 1988年  福島県立医科大学 助教授
 2003年  福島県立医科大学 非常勤講師
 2007年  埼玉医大眼科客員教授
 2008年  北福島医療センター 非常勤医師
 福島県ロービジョンネットワーク 代表
【後 記】
拝聴した皆が、「これがロービジョンケアの原点だ」と感じた素晴らしい講演でした。眼科医として診療に携わる中で、必要と感じた(効果のあった)症例を提示し、「治療が必要がなくなった患者でもやるべきことはある」と断言された。曰く、LVの基本は「気が付くこと、何かを提案すること、自分にもできることがあることを知ること、出来ないことは他人に頼ること」、、、、、うっ、これは人生の基本か。

シンポジウム「我が国のロービジョンケアを語ろう3)

私たちの行っている視覚障害リハビリテーション
 山田 幸男(新潟県保健衛生センター)(信楽園病院 内科)
 http://andonoburo.net/on/3290
【講演要約】
 私たちのリハビリテーション(以下リハビリ)を始めるきっかけは、糖尿病網膜症が原因で失明した35歳のO君の入院中の自殺です。入院中のO君は奥さんにすべて介助してもらっていました。もし彼が入院中トイレやナースステーションに自分一人で行き、食事も一人で食べることができたら、奥さんは働くことができ、経済的に追い込まれることはなかったのではないか、それには目の不自由な人にもリハビリが必要であると考えました。
 それまでは目の不自由な人のリハビリのあることさえ知りませんでした。彼の死後間もなくして目の不自由な人にもリハビリのあることを知りました。そして10年の準備期間をおいて、1994年に信楽園病院にリハビリ外来を開設しました。私たちのリハビリ外来は、県外からリハビリ専門施設の先生方(清水美知子先生と石川充英先生)に来ていただき、その先生方を中心に、眼科医、内科医が同席して月2回開いています。 今年は開設して満20年になります。外来受診者は800人、延べで10,000人ほどです。
 リハビリ外来では、就労訓練をのぞいた歩行訓練、ロービジョンケア、音声パソコン・点字指導、進学・就職相談、こころのケアなど広く指導を行い、パソコンや点字、歩行訓練などの頻回に継続して指導の必要なものは、外来のほかに週4回教室を開いて継続的に指導を行っています。
 いままで目の不自由なことが原因で死を考えたことのある人は56%、うつ病・うつ状態になったことのある人がおよそ50%おります。こころのケアは重要です。
 目の不自由な人に欠かせないこころのケアには、私たちはリハビリ外来やグループセラピーに加えて、お茶を飲みながら談笑できる喫茶室を設けて対応してきました。 喫茶室には、目の不自由な人のほかに晴眼者や学生なども出入りするので、いわゆるうつ病とはやや異なる視覚障害という疾患のある人に多いうつ・うつ状態の改善には、このような喫茶室も有効と考えています。
 新潟県は広く、また交通の便が必ずしも良くないため、私たちのリハビリ外来を継続して利用することの困難な人が多くみられます。その解決策として開設したのが、県内10数か所のパソコン教室兼喫茶室をもつ姉妹校(サチライト)です。サチライトではパソコン教室を定期的に開いて、パソコン指導や簡単な歩行訓練などもやっています。サチライトでも目の不自由な人や晴眼者が集まって、お茶を飲みながら話に花を咲かせています。こころのケアにも大きな効果がみられます。
 視覚障害者においても高齢化は大きな問題です。とくにロコモティブシンドロームによる転倒、骨折、そして寝たきりです。なかでも加齢による筋肉の減少症(サルコペニア)対策は重要です。  そこで2014年8月から私たちは、サルコペニア予防としての筋トレ・栄養指導、さらにフットケアなどを含めた転倒予防・体力増強教室を毎月1回開催しています。開催前の私たちの予想では、参加者は10人くらいだろうと思っていたのですが、予想に反して、70人(晴眼者も含めて)が参加され、そのニードの大きさに驚いています。とくに糖尿病患者では、サルコペニアの併発は血糖の悪化につながるので、その予防は大切と考えています。 高齢視覚障害者対策は今後ますます重要です。
【略 歴】 山田幸男(やまだ ゆきお)
 昭和42年(1967年) 3月 新潟大学医学部卒業
 昭和42年(1967年) 4月 新潟大学医学部附属病院インターン
 昭和43年(1968年) 4月 新潟大学医学部第一内科に入局。内分泌代謝斑に所属
 昭和54年(1979年) 5月 社会福祉法人新潟市社会事業協会信楽園病院
 平成17年(2005年) 4月 公益財団法人 新潟県保健衛生センター
 学 会
 日本内科学会認定医、日本糖尿病学会専門医、日本内分泌学会専門医、日本病態栄養学会評議員、日本ロービジョン学会評議員
【後 記】
 視覚障がい者のために築いてこられた素晴らしい「NPOオアシス」の成り立ちを振り返り、多くの示唆に富む講演でした。内科医でありながらロービジョンケアに取り組んだと評価する方もいますが、内科医であればこその発想(体内時計/骨代謝等)は、眼科医では思いもつかないかなり独創的でかつ先駆的な仕事です。糖尿病透析患者Oさんの失明したことによる自殺という事件を、このような形で乗り越えてきた(報いてきた)山田幸男先生、新潟の誇りです。


【新潟ロービジョン研究会2014】プログラム
 日時:平成26年9月27日(土)14:00〜18:40
 会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 
主催:済生会新潟第二病院眼科 
開会の挨拶 安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
1)特別講演 (各講演40分)
1.日本におけるロービジョンケアの流れ:日本ロービジョン学会の設立前
  田淵昭雄(川崎医療福祉大学感覚矯正学科;日本ロービジョン学会初代理事長)
 http://andonoburo.net/on/3222
2.日本におけるロービジョンケアの流れ:ロービジョンケアからロービジョンリハビリテーションへ−平成24年度診療報酬改定の意味するところ−
  高橋 広(北九州市立総合療育センター;日本ロービジョン学会第2代理事長)
3.本邦におけるロービジョンケアの課題と将来への展望
  加藤 聡(東京大学眼科准教授;日本ロービジョン学会第3代(現)理事長)
2)シンポジウム「我が国のロービジョンケアを語ろう」
座長 仲泊 聡(国立障害者リハビリセンター病院)
   安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
シンポジスト (各講演20分)
 1.吉野 由美子 (視覚障害リハビリテーション協会)
  「ロービジョン当事者として相談支援専門家として           我が国のロービジョンケアの未来に対する夢を語る」
 2.八子恵子 (北福島医療センター)
  「一眼科医としてロービジョンケアを考える」
 3.山田 幸男 (新潟県保健衛生センター;信楽園病院 内科)
  「私たちの視覚障害リハビリテーション」
 コメンテーター
田淵昭雄(日本ロービジョン学会初代理事長)
  高橋 広(日本ロービジョン学会第2代理事長)
  加藤 聡(日本ロービジョン学会第3代理事長)
閉会の挨拶 仲泊 聡(国立障害者リハビリセンター病院)



【過去の新潟ロービジョン研究会 プログラム】
【新潟ロービジョン研究会2013】
  第22回視覚障害リハビリテーション研究発表大会『招待講演』
  日時:2013年 6月23日(日) 9:00〜10:50
  会場:チサンホテル4階 越後の間
    座長 安藤伸朗 (済生会新潟第二病院)
 1)「iPS細胞を用いた網膜再生医療」
     高橋 政代 (理化学研究所)
  http://andonoburo.net/on/2505
 2)「網膜色素変性、治療への最前線」
     山本 修一 (千葉大学眼科教授)
  http://andonoburo.net/on/2508


【新潟ロービジョン研究会2012】
  日時:2012年6月9日(土)13時15分〜18時50分
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
  会費:無料 要;事前登録
1)特別講演  座長:安藤 伸朗 (済生会新潟第二病院)
 「網膜変性疾患の治療の展望」
   小沢 洋子 (慶応大学眼科 網膜細胞生物学斑)
 http://andonoburo.net/on/2492
2)シンポジウム1『ITを利用したロービジョンケア』
   座長:守本 典子 (岡山大学) 野田 知子 (東京医大)
 1.基調講演
   「 ITの発展と視覚代行技術-利用者の夢、技術者の夢-」
      渡辺 哲也 (新潟大学工学部福祉人間工学科)
 2.私のIT利用法
  「ロービジョンケアにおけるiPadの活用」
     三宅 琢 (眼科医:名古屋市)
  「視覚障害者にとってのICT〜今の私があるのはパソコンのおかげ〜」
     園 順一 (京都福祉情報ネットワーク代表 京都市)
 http://andonoburo.net/on/2495
3)基調講演  座長:張替 涼子 (新潟大学)
 「明日へつながる告知」
   小川 弓子 (小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園 園長)
 シンポジウム2『網膜色素変性の病名告知』
   座長 佐渡 一成 (さど眼科、仙台市) 張替 涼子 (新潟大学)
  「眼科医はどのような告知を目指し、心がけるべきか」
     守本 典子 (眼科医:岡山大学)
  「家族からの告知〜環境と時期〜」 
     園 順一 (JRPS2代目副会長 京都市)
  「こんな告知をしてほしい」
     竹熊 有可 (旧姓;小野塚 JRPS初代会長、新潟市)
  コメンテーター
    小川 弓子 (小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園 延長)
http://andonoburo.net/on/2502


【新潟ロービジョン研究会2011】
 公開講座「高次脳機能と視覚の重複障害を考える〜済生会新潟シンポジウム」
  日時:2011年2月5日(土) 15:00〜18:00
  会場;済生会新潟第二病院 10階会議室
1)特別講演 
 座長:永井 博子(神経内科医;押木内科神経内科医院)
  「重複障害を負った脳外科医 心のリハビリを楽しみながら生きる」
    佐藤正純(もと脳神経外科専門医;横浜市立大学付属病院
      医療相談員:介護付有料老人ホーム「はなことば新横浜2号館」)
 http://andonoburo.net/on/2479
2)教育講演  座長:安藤 伸朗(眼科医済生会新潟第二病院)
  「高次脳機能障害とは?」 
    仲泊 聡 (国立障害者リハビリセンター病院;眼科医)
  「高次脳機能障害と視覚障害を重複した方へのリハビリ」
    野崎 正和 (京都ライトハウス鳥居寮;リハ指導員)
  「前頭葉機能不全 その先の戦略〜Rusk脳損傷通院プログラムと神経心理ピラミッド」
    立神粧子 (フェリス女学院大学)
 http://andonoburo.net/on/2487


【新潟ロービジョン研究会2010】
  日時:2010(平成22)年7月17日(土)14時00分 〜 18時20分
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 
  テーマ:「『見えない』を『見える』に」
  会費:無料  要、事前登録
1)特別講演 
  「障がい者が支援機器を活用できる社会に」
    座長:安藤 伸朗(済生会新潟第二病院)
    演者:林 豊彦(新潟大学工学部福祉人間工学科・教授)
  「前進する網膜変性の治療」
    座長:加藤 聡 (東京大学眼科)
    演者:山本 修一(千葉大学大学院医学研究院眼科学教授/日本網膜色素変性症協会副会長)
  「ロービジョンで見えるようになる」
     座長:張替 涼子 (新潟大学眼科)
     演者:小田 浩一 (東京女子大学人間科学科教授)
 http://andonoburo.net/on/2470
2)シンポジウム 「『見えない』を『見える』に」
   司会:加藤 聡 (東京大学眼科)張替 涼子 (新潟大学眼科)
      安藤 伸朗 (済生会新潟第二病院眼科)
   コメンテーター:
     山本 修一 (千葉大学大学院医学研究院眼科学教授)
     林 豊彦  (新潟大学工学部福祉人間工学科・教授)
     小田 浩一 (東京女子大学人間科学科教授)
 「見えないってどんなこと?」
    稲垣 吉彦 (有限会社アットイーズ 取締役社長)
 「見えなくてもできる」
    永井 和子 (視覚障害生活訓練等指導員;長崎こども・女性・障害者支援センター)
 「見える喜び・できる喜び〜教育の立場から〜」 
    田中 宏幸 (教諭;新潟県立新潟盲学校)
 「視野評価とロービジョンケア」
    柳澤 美衣子(視能訓練士;東京大学医学部付属病院)
 「とっても眩しいんです」
    仲泊 聡(眼科医;国立障害者リハ病院第二診療部長) 
 http://andonoburo.net/on/2473


【新潟ロービジョン研究会2009】
  日時:2009年7月4日(土)
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
  テーマ「ロービジョンケアは心のケアから」
1)特別講演
  「ロービジョンケアにおける心療眼科の役割」
    気賀沢 一輝(杏林大学;心療眼科)
  「心と病気ー病は気から、とは本当だろうか?」
    櫻井 浩治(新潟大学名誉教授;精神科)
2)「新潟盲学校」
   学校紹介 田中宏幸(新潟盲学校教論)
   盲学校に入学して 竹熊有可(新潟盲学校)
3)シンポジウム「ロービジョンケアは心のケアから」
   司会:加藤 聡(東京大学眼科准教授)
      安藤 伸朗(済生会新潟第二病院眼科)
   シンポジスト
     西脇 友紀(もり眼科医院;視能訓練士)
     高林 雅子(順天堂大学;心理カウンセラー)
     小島紀代子(NPO法人オアシス・視覚障害リハビリ外来)
     竹熊 有可(新潟盲学校)
     内山 博貴(福祉介護士)
     稲垣 吉彦(アットイーズ;東京)
   コメンテーター
     櫻井 浩治(新潟大学名誉教授;精神科)
     気賀沢 一輝(杏林大学;心療眼科)
 <機器展示>
   東海光学、タイムズコーポレーション、アットイーズ(東京)、新潟眼鏡院 
  http://andonoburo.net/on/2464


【新潟ロービジョン研究会2008】
  日時:2008年8月2日(土)15時30分〜18時30分
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 参加費 無料
  テーマ「視覚障がい者の就労」
   進行役 張替 涼子(新潟大学) 安藤 伸朗(済生会新潟第二病院)
1)講演
  「新潟県立新潟盲学校における進路指導の現状と課題」
     渡辺 利喜男、仁木 知子(新潟県立新潟盲学校)
  「視覚障害者の就労に私はどうかかわることができるか」
     仲泊 聡(国立身体障害者リハビリ病院眼科部長)
  「視覚障がい者の就労」〜NPO法人タートル事務局長の立場から〜
     篠島 永一(NPO法人タートル事務局長;元日本盲人職能開発センター所長)
  「わが社の障がい者雇用について」
     小野塚 繁基 (小野塚印刷専務取締役;新潟市) 
  「障碍」を持つ教師の働く権利保障をめざして 
     栗川 治(「障碍」を持つ教師・連絡協議会事務局長;新潟西高校教諭)
2)パネルディスカッション 皆で考える「視覚障がい者の就労」
    仲泊 聡 (国立身体障害者リハビリ病院眼科部長)
    篠島 永一(NPO法人タートル事務局長;元日本盲人職能開発センター所長)
    小野塚 繁基(小野塚印刷専務取締役;新潟市)
    栗川 治 (「障碍」を持つ教師・連絡協議会事務局長;新潟西高校教諭)
    渡辺 利喜男、仁木 知子(新潟県立新潟盲学校)
    就労体験者〜亀山 智美 (長岡中央病院)
          薬師寺 剛 (新潟県立吉田養護学校教諭)
          轡田 貴子 (国際福祉医療カレッジ)
          小川 良栄 (長岡市自営業)
 機器展示 展示品アピール
    東海光学、タイムズコーポレーション、ナイツ、アットイーズ(新潟)、新潟眼鏡院
 http://andonoburo.net/on/2460


【新潟ロービジョン研究会2007】
  日時:2007年9月1日(土) 15時00分〜18時45分
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 会費:1000円
  機器展示メーカーからのPRタイム
    東海光学、ナイツ、タイムズコーポレーション、大活字、おんでこ、新潟眼鏡院
1)特別講演〜 座長:張替涼子(新潟大学) 安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
 「視覚障害リハビリテーション−ボランティア・パワーを集結した医療をめざしてー」
    山田幸男(内科医 信楽園病院 視覚障害リハビリ外来)
 http://andonoburo.net/on/2442
 「ロービジョンケアを考える」
    山田信也(生活支援員、歩行訓練士;国立函館視力障害センター) 
 http://andonoburo.net/on/2449
2) 討論会「眼科に期待すること、眼科が出来ること」
    司会 小野沢裕子(フリーアナウンサー)安藤伸朗(眼科医)
    討論参加者
     山田幸男(内科医)
     山田信也(歩行訓練士)
     張替涼子(眼科医)
     佐藤美恵子(視能訓練士)
     患者さん 会場全員


【新潟ロービジョン研究会2006】
  日時:2006年7月29日(土)16時〜19時10分
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)講演
  「一般外来でのロービジョンケア−QOL向上のための初めの一歩」
     佐藤美恵子 (視能訓練士 新潟県立新発田病院)
  「視覚障害者の就労継続と連携」
     工藤正一 (中途視覚障害者の復職を考える会『タートルの会』)
  「中途視覚障害者の家族としての支援、家族への支援」
     工藤良子 (千葉県医療技術大学校看護学科)
  「失明してしまった手術のこと」 
     荻野誠周 (眼科医 新城眼科)
 2)便利グッズ紹介 県内の皆さんからの紹介コーナー
 3)シンポジウム「皆で考えるロービジョンケア」
   座長 張替涼子(新潟大学) 安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
    佐藤美恵子 (視能訓練士 新潟県立新発田病院)
    工藤正一 (『タートルの会』)
    工藤良子 (千葉県医療技術大学校看護学科)
    荻野誠周 (眼科医 新城眼科)
   http://andonoburo.net/on/2438


【第6回】新潟ロービジョン研究会 
  日時:2005(平成17)年8月7日(日)
  会場:新潟大学医学部 有壬記念館
  参加費 2000円
1)特別講演
  「ロービジョンと読書」  小田 浩一(東京女子大学)
  「型にはめない対応を」  清水 美知子(歩行訓練士)
  「眼科医の悩み」  松村 美代(関西医大眼科)
2)シンポジウム 「患者の気持ち、医者の心をお互いに聴く」
  司会:小野沢 裕子(フリーアナウンサー)
  松村 美代(関西医大眼科)
     清水 美知子(歩行訓練士)
     伊藤 文子(新潟市)
     内山 博貴(元高校球児、介護福祉士)
     大音 清香(看護師、日本眼科看護研究会理事長)
     福下 公子(眼科開業医、遺伝相談医師カウンセラー)
     安藤 伸朗(眼科勤務医)
3)便利グッズ紹介
   田村 めぐみ(眼科医;東大眼科ロービジョン外来)
   林 豊彦(新潟大学工学部大学院)


【第5回】新潟ロービジョン研究会
  日時:2004年6月5日(土)午後
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
  対象:医療関係者&ロービジョンケア専門家
  会費:一人1000円
 特別講演
 1)「糖尿病網膜症患者さんのロービジョンケア」
    田中恵津子(杏林大学眼科ロービジョン外来)
 2)網膜色素変性症治療の最前線
  1.「網膜色素変性症治療としての神経網膜移植」
     荒井紳一(新潟大学眼科) 
  2.「網膜色素変性の研究あれこれー再生医療を中心に」
     高橋政代(京都大学医学部付属病院 探索医療センター助教授)
 講演会
   対象:どなたでも 会費:一人1000円 
 1)「網膜色素変性―病気とうまくつきあっていくために」
    高橋政代(京都大学医学部付属病院 探索医療センター開発部助教授)
 2)便利グッズの選び方・使い方」
    市橋竜正(株:大活字)


【第4回】新潟ロービジョン研究会(兼 症例検討会)
  日時:2003年4月26日(土) 午後2時〜6時 
  会場:済生会新潟第二病院10階会議室  参加費:1000円
1)講演「ロービジョン機器の最新情報」
  山中幸宏(アサクラ)
2)講演&実習「拡大読書器の使い方」 
  森田茂樹(京都府)


【第3回】新潟ロービジョン勉強会
  日時:2002年11月30日(土)15時40分〜18時10分
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
1)特別講演   座長:大石正夫(信楽園病院ロービジョン)
 「小児眼科診療 私のやり方」
    富田 香 (平和眼科;東京都)
2)講演   座長:張替涼子(新潟大学眼科ロービジョン)
  「当院のロービジョンサービス」 
    藤田昭子(新潟臨港総合病院視能訓練士)
  「子育て体験とボランティア活動」
    小松郁子 (神奈川県) 


【第2回】新潟ロービジョン勉強会
  日時:2001年9月29日(土)14:30〜17:00
  会場:済生会新潟第二病院 10F 会議室AB 参加料無料
 1)特別講演  座長 大石正夫(信楽園病院眼科リハビリ外来)
  「福祉機器を起点とした商品開発のために」
    牧野秀夫  (新大工学部情報工学科教授)
 2)症例報告  座長 張替涼子(新大眼科ロービジョン外来)
  「私の経験した症例から」
    佐藤美恵子 (県立加茂病院眼科視能訓練士)
 3)実践的講習会  座長 安藤伸朗 (済生会新潟第二病院)
  「遮光眼鏡の処方の実際」
    小山哲矢 (東海光学株式会社)


【第1回】新潟ロービジョン勉強会
  日時:2001年4月7日(土)14:00〜17:00
  会場:済生会新潟第二病院 10F会議室  参加料無料
 1)講演
  「ロービジョン外来の実際」
     張替涼子(新潟大学眼科ロービジョン外来)
  「視覚補助具(特に拡大読書器)の正しい選び方」
     土田重一(ナイツ)
 2)実習
  「擬似体験と視覚補助具の選び方」
     土田重一(ナイツ) 

これで2014新潟ロービジョン研究会の報告のページを終わります。


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